戒淳かっけえ!
弘誓寺観音堂(ぐせいじかんのんどう)
前身の観音山解脱院の創建は不詳ですが江戸時代以前に尾別川の滝の辺りにあったとされ、その後現在の場所に境内を移した事から始まり津軽三十三霊場に選定され信仰を広めたお寺です。
場所は中泊町の国道339号線を十三湖方面に直進して左手に中里交通をこえたあたりで右手に見えてきます。
駐車場はとなりの老人ホームに駐車できるとの事なのでそちらに駐車して下さい。
鳥居の前に干支のヤツが。鳥居より存在感が(笑
社殿です。
江戸時代末期に飛龍宮に改称し、明治時代には神仏分離令により本尊は弘前市の最勝院に移され神明宮となり観音堂は廃堂となってしまいます。
廃堂となってしまった観音堂が弘誓寺観音堂として復活を遂げるまでにはアンビリバボーあたりで再現VTR作るべきな物語があったんです。
明治34年に山梨から僧の海野戒淳が3300の観音像を描く全国行脚中に尾別を訪れ、観音堂の話を聞き最勝院から観音像を取り戻し、仮堂を建ててまつります。観音堂再建のために地元民とともに尽力していましたが日露戦争に招集されたために尾別を離れてしまいます。
しかし、戒淳の意思を継いだ村人たちの力で明治43年に観音堂を再建します。
昭和4年、円海と改名した戒淳が再び訪れ、寺院の創建を目指すも叶わず尾別を離れてしまいます。
昭和19年に尾別に永住する決意を固めた戒淳は昭和28年遂に念願だった解脱院弘誓寺の建立を成し遂げ、それにちなんで弘誓寺観音堂と呼ばれるようになりました。
戒淳かっこよすぎ。
観音堂へはこの階段を登って高台まで行きます。中腹くらいに三十三観音のお地蔵さんがぐるっと安置されていました。
階段を登って行くと見えてきました。
観音堂到着。2対の狛犬がいました。
中に入って参拝しましょう。
高台からは田園風景と岩木山が眺める良い所でした。
弘誓寺観音堂のお寺・神社情報
電話 0173-57-3338
コメントを残す