卯年の津軽一代様もう一つは最勝院。大円寺とも呼ばれて広く信仰を集めるお寺です。
金剛山最勝院(こんごうざんさいしょういん)
1532年、常陸国出身の弘信上人が堀越城下にお堂を建立した事に始まり、慶長16年(1611年)に2代藩主津軽信枚が弘前城を築城し城下に弘前八幡宮を創建したことに伴い、その近くに移転し弘前八幡宮の別当寺としました。
本尊は金剛界大日如来、秘仏として猫突不動明王、牛頭天王、聖天、文殊菩薩、五智如来、胎蔵界大日如来、如意輪観世音菩薩等たくさん祀っています。
場所は弘前市新寺町のしかないせんべい本店や弘前高校の通りを鍛冶町方面に進むと右手に見えてきます。
駐車場は境内手前に数台分あるのでそちらに。
早速入っていきましょう。牛頭天王(ごずてんのう)は疫病を防ぐ神です。今のご時世にぴったり。
仁王門
現在修復中で仁王像は見ることができませんが、立派な仁王門。
最勝院は弘前天満宮と同じく卯年の津軽一代様です。立派なウサギさんの阿吽の像。
最勝院は卯年の津軽一代様の他に、
東北三十六不動尊霊場第十五番札所
北国八十八カ所霊場第五十九番札所
津軽八十八カ所霊場第四十九番札所
津軽弘法大師霊場第一番札所
があります。多いですね。
仁王門を抜けると三十三観音様がお出迎え。
鐘楼(平和の鐘)
戦前までは森町に市民に時を告げた時の鐘がありましたが、戦争の供出によりなくなってしまいました。昭和31年(1956年)に商工会が中心となり普請され平和の鐘として復元されました。
最勝院五重塔
国の重要文化財に指定されている津軽藩藩祖為信の津軽統一の過程で戦死した敵味方の供養のために寛文7年(1667年)に建立された本州最北端にある五重塔です。
城の南方を見守る監視塔としての側面もありました。
手水舎
手水舎の上の柱に鬼コがいました。
表情がよく分からないですが笑い鬼と泣き鬼ですかね?喜怒哀楽を表現しているっぽいですね。
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本堂
大院らしくとても立派な造りの本堂。中央は金剛界大日如来、右に宗祖弘法大師空海が祀られています。
賽銭箱の下にもウサギさんいました。
弘法大師像の脇にもウサギさん。
護摩堂
最勝院は明治の神仏分離令により弘前八幡宮から分離し明治3年に現在の地へ移転しましたがここは大円寺の境内でした。大円寺は大鰐町へと移り、その旧大円寺の本堂であった建物が現在の護摩堂となりました。
本尊は牛頭天王であり、疫病除けの御利益があるとされ信仰を受けてきました。
昔大円寺だった名残かお年寄りや宵宮の時は大円寺と呼ぶ人が多いですね。
五智如来堂
五智如来堂の本尊はもと五智山普光寺の本尊でした。しかし、普光寺は住職もなく廃虚となってしまったため、弘化3年(1846年)にこの地へ移されて今に至ります。
聖徳太子堂
五重塔建立の記念として建てられたと言われています。
六角堂
本尊が如意輪観世音菩薩なので如意輪観世音菩薩堂とも呼ばれています。
他にもいろいろありますが今回はこの辺で。
金剛山最勝院のお寺情報
電話 0172-34-1123
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